SSブログ

岩崎宏美、父に訴えられるPart2 [芸能]

thumb01岩崎宏美.jpg

88年に俳優・内田直哉(58)と結婚目前も破局。
しかし、30歳までに結婚を夢見ていた宏美は、89年に商社マンである一般人と結婚。
最後まで反対していた父だったが結婚式には駆けつけた。
しかし、結婚生活は長く続かず95年に離婚した。
「宏美さんが結婚し、仕事が激減してしまったことで、スリージーはもう後がない情況だった。そこで、お父さんは宏美さんの旦那がドイツに転勤になった際に、黙って宏美さんの仕事を受けたんです。旦那さんは宏美さんと結婚したら仕事は控えると約束していたので激怒しました。しかし、宏美さんは家族のこともあったし、結婚前みたいに歌いたいという願望が強かったので、離婚して実家に戻り父についていくことを決めました」(音楽関係者)
旦那との間に生まれたふたりの子供の親権は前夫に持って行かれた。 

宏美は父を選んで離婚をしたのだが、仲良し家族は崩壊してしまうのである。
「お父さんは、愛人関係にあった女性と結婚するため、02年5月にお母さんと離婚したんです。お母さんは良美と一緒に家を出てしまったので、宏美さんは老いたお父さんのことを思って実家に残ることにしたんです」(岩崎家の知人)
03年に再婚した父は、年齢的なこともあり、会社の代表を宏美に譲った。
会えなくなってしまった子供、両親の離婚、会社の経営、たくさんの苦悩を抱えていた宏美を支えていたのが01年から交際をしていた今だった。 

「今さんは宏美さんの相談に乗るだけではなく、当時闘病中だったお父さんの治療に付き添ったり、医師を紹介したりと献身的に看病をした。お父さんも今さんのことが気に入って03年には一緒に暮らさないかと持ちかけたんです」(今の知人)
父は、今との結婚を宏美に勧めた。
しかし、そこには条件があった。
「お父さんは今さんに婿養子に入ってほしかったんです。岩崎家には娘しかいないからなんです。でも、今さんはこの条件には賛成しなかったんです」(今の知人) 

今が婿養子を拒むと、父は一転して、結婚に反対するようになっていった。
さすがの宏美も、この時は今を選んだ。
09年4月、宏美は実家を離れ、今と再婚することに。
そして、これを機に父と決別することになる。
「09年12月に、有限会社スリージーから株式会社スリージーに社名を変えて、お父さんを会社の役員から外したんです。そして、今さんがマネジメント会社を作り、宏美さんをそっちに移籍させました。これまでスリージーから父に支払われていた金額や役員報酬や会社が入っていたビルの賃料など約80万円ほどが、会社の形態が変わり支払われなくなった」 

冒頭の裁判で争われているのは、この際の父の役員辞任が正当なものだったのかどうか。
事前に承諾はなかったという父に対して、宏美側は承諾はあったと主張している。
現在でも裁判は係争中である。
再婚をしてしまったことで、父と宏美との間に遺恨ができてしまったようだ。 

記事元
女性セブン(一部編集)



GREE 探検ドリランド スタミナ無限回復・ベル無限所得・経験値無限獲得技



タグ:岩崎宏美

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。